MISHIMAGAZINE #9

『今を歩く』 #9 「国際社会」のリアリティ – YUSUKE OKABE(岡部祐輔)

 

記憶は定かではないが、まだ私が高校1年か2年生だったと思う。1999年から2000年頃だったと思う。書店でなんとなく開いたファッション誌に、「アントワープ王立芸術アカデミー」というベルギーの美術大学の記事が掲載されていた。記事によると、そのアントワープの大学のファッション科に日本人の学生が3人在籍しているらしい。その一人は岡部祐輔(おかべゆうすけ)という名前で、偶然私の名前と同じ読みだったので記憶に残った。

 

 

 

 2000年頃、大学3年生のアントワープの日本人学生が取り上げられた雑誌の一部。岡部さんの他に、三人の日本人学生が居た。

 

 

ファッションの世界で「アントワープ」というと、この王立芸術アカデミーのことを意味する。画家のファン・ゴッホが卒業したこの歴史ある美大に設立されたファッション科からは、これまで幾多の有名な人材が輩出された。例を挙げると、現代ファッションに90年代に君臨し、引退してもなお今のファッションに強い影響を残しているマルタン・マルジェラ(MARTIN MARGIELA)がこの学校の卒業生である。マルジェラと同世代で、今も活躍しているドリス・ヴァン・ノッテン(DRIES VAN NOTEN)、アン・ドゥムルメステール(ANN DEMEULEMEESTER)、そして今その学校のファッション科の学科長を務めるウォルター・ヴァン・ベイレンドンク(WALTER VAN BEIRENDONCK)、ディオール・オム(DIOR HOMME)のディレクターを務めるクリス・ヴァン・アッシュ(KRIS VAN ASSCHE)、そしてここ数年のファッションシーンを席巻したヴェトモン(VETEMENTS)のデザイナーであり、バレンシアガ(BALENCIAGA)のクリエイティヴディレクターであるグルジア人デザイナー、デムナ・グヴァサリア(DEMNA GVASALIA)などがいる。自分自身はファッションとは無縁、と考える読者もいるかもしれないが、我々が「たったいま身に付けている洋服」の中で、アントワープ出身デザイナーの影響を受けていないものは存在しないと言っていいだろう。東北の辺境で暮していた高校生の自分には到底買えるものではなかったが、マルタン マルジェラの服は当時、アーティストやあるいは一部の文化人がよく着ていた。実際、特定のコミュニティでは彼の洋服を着ていることがある一定の文化的素養を持つことの証明にもなっていた時代があるのだ。

 

さて、そういう人たちが卒業した学校は自分とは無縁の別の世界のものと思っていたが、日本人が3人も在籍していることに驚いた。ファッションを学ぶということ自体が思いもよらなかったが、外国の、しかも日本人学生が居ないベルギーで学ぶということを選択する人生が、あり得るということが田舎に暮していた私にとっては小さな衝撃だった。そして在籍しているだけでなく、彼ら3人が製作した作品の一部のレベルの高さに驚かされた。夕方、薄暗い学校の図書館にあるパソコンでNetScapeのブラウザーを開いて、アントワープという町について、そして学校について調べたことを今でも覚えている。

 

 

 

学生時代の作品のルックが日本の雑誌に取り上げられた。当時ベルギーのメディアにもインタビューされたらしい。

 

 

しかし、人生とは奇妙なもので、全く考えていないことがよく起きるものである。約10年後、気がつくと私は、高校時代に雑誌で目にしていたコム デ ギャルソンという会社に入社していた。さらにその数日後、雑誌に載っていた「岡部さん」が数年前まで同じ会社に在籍していたことを知る。さらにその5年後、自分が会社を興してから、その岡部さんと個人的に仕事をすることになった。雑誌で彼の記事を観てから16年後のことである。

岡部さんと初めて会ったのは2013年の夏だった。ニューヨークに出張した際、現地在住の日本人のファッション関係者が集まる食事会に招かれると、同じテーブルの目の前の席に彼が座っていた。まったく面識はなかったが、同じ会社、倫理観のもとで働いた経験のある我々の間にコミュニケーションの壁はなく、多岐に渡る話題を共有することができた。アントワープいうスクール、そしてコム デ ギャルソン(これも一つのスクールである)を卒業し、デザインと技術、両方に卓越する彼には、世界中からジョブオファーが届くらしく、当時ニューヨークのとあるラグジュアリーブランドに在籍していたのも、とある誘いがきっかけのようだった。ニューヨークで話してから1年後、ミラノへ移、そのさらに一年半後にはパリへ移住し、ストックホルムを経て、今は再びニューヨークで暮らしている。いつもメッセンジャーを通してする話は仕事の話ばかりだが、それはある意味で「国際社会」に対する現実や考察の交換でもある。

ファッションの面白さは、社会階級や国籍、人種を横断して様々な人々と接する機会があることだ。縫製工場のパートタイマー、学生、ゴム工場の化学者、物流会社のドライバーや倉庫スタッフ、華やかなPR関係者、スタイリスト、金融マン、経営者、現代アーティストやセレブリティ・・・、それぞれの国の多国籍・多人種で関わることで、世界の動きが体感的に見えてくる。そのほぼ全てにおいて大小はあれ、利害関係がある中で人接触するという仕事はファッション以外にあまりないのではないかと思う。海外を中心として動きが発表されるファッションに関わると否応なしに、「グローバル社会」という概念を意識する前に、世界に投げ出され、込み入ったコミュニケーションの海に自ずと放り込まれてしまう。岡部さんのように人種のるつぼであるニューヨークのスタジオに属せば、生い立ちも育った環境も、人種、宗教、教育水準や年齢、職業のダイバーシティも拡大する。仕事を通して垣間見えるそれぞれの国のリアリティは、各国の報道や評論家が語る「国際社会」と似て非なるもので生々しい。論壇が言うほど、「国際社会」といわれる概念は希薄であり、その状況は報道が悲観するほど悲惨でも、また楽観的でニュートラルなものではない。ファッションというコマーシャリズムとクリエーションの狭間では、喜劇のような悲劇、悲劇のような喜劇が現実の1つのシーンとして生成され、浮かび上がり、日が沈み、夜が明けていく。

岡部祐輔 (YUSUKE OKABE)

2002年にアントワープ王立芸術アカデミー卒業後、コム デ ギャルソンに入社。アントワープのアン・ドゥムルメステール (ANN DEMEULEMEESTER) 、ニューヨークのVERA WANG(ヴェラ・ウォン)、PHOEBE PHILO(フィービー・フィロ)がディレクターを務めていたCELINE(セリーヌ)などでデザイナー・パタンナーとして活躍、ニューヨークでRAF SIMONS(ラフ・シモンズ)チームの誘いのもと2016年にCALVIN KLEINに移籍、2018年のラフ・シモンズ退任後、フィービー・フィロ時代のCELINEの同僚からの誘いを受けミラノへ移住。現在はBOTTEGA VENETA(ボッテガ・ヴェネタ)のチームとして活躍している。