MISHIMAGAZINE #8

『今を歩く』 #8 「東京。ハノイから朋が来たる。長い師走に響く歯車。」

Photography by KLEINSTEIN 

 

 

 

師走と言えば12月である。師走の語源は諸説あるらしい。僧が経をあげるために、東西を馳せる月という解釈もあるし、単なる当て字という説もある。東西を馳せる、という意味では飛行機で移動する現代人は文字通り東西を走り回っている。

中でも仏道とはぱっと見て縁が無さそうなファッションの世界では12月から3月末まで慌ただしいスケジュールが続き、師から弟子まであちこちを駆け巡る。

1月、ミラノでメンズウェアの見本市であるPITTI UOMOの秋冬シーズンが始まり、直後のミラノコレクションの後はすぐに下旬からPARIS FASHION WEEK (PFW, パリコレ)が行われ、プレゼンテーションと展示会が続く。その後の2月上旬から中旬にかけて東京では国内ブランドの展示会が一部行われるのだが、それらが終わる前に今度は2月に並行してニューヨークで秋冬ウィメンズウェアのNEW YORK FASHION WEEKが始まってしまう。その後立て続けにロンドン、ミラノで展示会やプレゼンテーションが続き、3月上旬からはパリでファッションウィークが開始、パリでの展示会が終わった後は3月下旬にかけて再び東京の展示会が始まる。この展示会の成果が半期ないしは八ヶ月の経済状況を左右するので皆大体必死である。

年末年始は通常休みだが、海外ではクリスマス前に始まっていた年末休暇も2日には終わり、日本のカレンダーはお構いなしにエンジン全開で物事が動き始める。ミラノやパリをターゲットに仕事をすると、大晦日に仕事納めといって一息ついている間はあまりなく、海外の仕事始めにレスポンスできるよう仕込みをしている人が多い。作り手はサンプルを製作して展示会に持ち込まねばならないし、メディアや周辺の人達もコレクションシーズンに合わせて企画を練っているから全体が慌ただしい。また皆がパリやミラノに行っている隙に、あえてタイミングを外して半年後に向けた大きなミーティングを開催する場合もある。12月から始まる嵐が去るのはエイプリルフールの4月といったところだ。師走はロングランである。

 

そのロングランが既に始まった12月の初旬。東京の街に第六回の連載で取り上げた作家のNguyen Qui Duc(ドゥック)が、パートナーのプロダクトデザイナーであるNguyen Mai Phuong(フォン)さんと共にベトナムのハノイからやってきた。旅にはこれといって目的もなく、訪日が初だったパートナーのPhoungさんと一緒に東京のストリートを歩いて休暇を楽しみたいという作家らしいアブストラクトな旅らしい。東京の街にはピリピリと慌ただしい空気が漂い始め、朝方には冷気が肌を刺すような頃だったが、ハノイの慌ただしさから逃れて休暇で東京に訪れたのだという。ドゥックは昔、サンフランシスコのラジオ局で働いていた頃に東京へ長く滞在する機会があり、当時は神楽坂に住んでいた。東京の思い出で鮮明に記憶として残っている風景は昔歩いた飯田橋周辺の夜の外堀通りや、赤坂、そして青山の静けさと光らしい。

 

「道路を埋め尽くすバイクを見飽きてね」

 

ドゥックははにかんだような苦笑いしながら浮かべていた。

ヨウジヤマモトを身に纏って赤坂の日本料理店の椅子に腰を降ろす彼の表情を見ていると、少しずつ暑くじっとりとしたハノイの空気をかき分けて走るバイクの大群の様子が脳裏に浮かび上がってきた。けたたましい爆音とストリートに轟く声。アウトサイダーには新鮮に見え、五感を刺激してくれる奇妙な風景も確かに毎日眺めていたら飽きるのかもしれない。

 

新鮮な風景といえば、「東京の静けさ」も奇妙なものだ。「大都会の東京の静けさ」、というと少しおかしい話かもしれない。元々は地方出身の私も東京に来た頃は都会は騒がしいものだと感じたものだが、世界中の大都市を歩いてみると東京は人口1,000万超のメガロポリスの中でも確かに静かな街なのだと思う。

渋谷のスクランブル交差点ではいつも大勢の人が横切るが耳に入ってくる音は人の声よりも広告によって創り出された騒音の方が目立つ。そして何よりも清潔である。道に落ちているゴミは早朝になると大体誰かによって片付けている。

海外の大都市を訪れると感じる、ノイズとその熱気。ニューヨークやロンドンの路上では誰かが大声で話しているし、美しい景観が売りのパリでは路上に犬の糞が落ちていることも多い。都会の街には排気ガスの他に何処からともなく漂う人の体臭やゴミのにおいが漂ってくるのが常だが東京は比較的清潔だ。

国内ではよく問題に上がる、「都会の人の冷たさ」。これによって創り出されるどこかプラスチック的質感の静寂がアウトサイダーには新鮮らしい。確かにそうかもしれないと思う。いい意味でも悪い意味でもここは静かだ。エネルギーも奥に潜んでる。

 

 

話は変わるが、かつてベトナムを植民地としたフランスのパリの左岸ではカフェ・ドゥ・マゴ(CAFÉ DE MAGOT)とカフェ・ド・フロール(CAFÉ DE FLORE)が向かい合い、ピカソ、サルトル、カミュ、シャネルから周恩来まで様々な人が集ったと言われている。私と妻の目の前で蕎麦をすすっているハノイの二人はまさに同じようにして街に臍を作り、街の現代文化を静かに動かしているのだ。黄色く塗り上げられたフランス風の建築が並ぶ植民地街の一区画を自然と文化人の集まる坩堝にし、そこで生まれる相互作用が今この瞬間の文化的土壌を支えている。おそらく今、そこには未来の巨匠たちが集まっているのだろうと思う。そんな場を作っている彼らを見ていると、一人の人間によって目の前の現象を動かすことができるという可能性を信じざるを得ない。

 

人間の可能性、という話についてといえば昔、複雑系研究者の人達と論争めいた雑談をした記憶が蘇る。それは「今この世の中の現象が構造によって決まっているか、あるいは構造が一個人によって決まりうるか」という話しだった。歴史の中で特定の個人が巻き起こしたとされる現象も、その人間を包容する世界の文脈がもたらしたものとみるか、あるいは個人の意思によって起きてしまったものなのかというちょっとした「鶏が先か卵が先か」という話である。

名前を忘れてしまったが、悟りを開いた僧が自らの存在を世界の現象の一部であると説いていた。頭ではわかるのだが私にはどうも過去の偉人の言葉というのをそのまま素直に受け取ることのできない性分である。どんな人物の言葉でも同じ人間として考えると、言葉を残したものの確信をもって己の言葉に沿った行いを貫徹して生きた人間なのかどうかと疑ってしまう。そんな私からすると構造論的な立場で世界の動きを見てしまうのはドライであるように思えてしまう。世の中はもっと人間的な動きをしているような気がするのだ。

 

 

 

赤坂で別れたドゥックは好物の日本のウィスキーを酒屋で沢山買い込みトランクに詰め込みベトナムに帰っていった。そして年が明け、もう2月が終わり、師走のロングランも終盤戦となった。春一番の吹く東京の道を歩きながら赤坂を歩く彼の後ろ姿を思い出す。

改めて世界は人間が作っていると思う。我々は目の前の現象を動かす一人の人間なのだ。あの時、あの人がその場所にいてあの行いをしなかったら今この瞬間は無かった。世界はあるいは自分の人生でさえそんな偶然で動いている。今も何処かで世界という現象の歯車の音が聞こえる気がする。カチカチとした物音が。それに触ると怪我をするのかもしれないが。世界は偶有性に溢れている。

 

 

NGUYEN QUI DUC

tadioto.com

ハノイ在住。第五回でも紹介したハノイにある彼の経営するバー、TADIOTOは街の臍であり、彼自身も店だけではなく付近一区画をディレクションしている。

 

NGUYEN MAI PHONG

彼女が運営するAN STORE はどうやら現地と観光客の双方に指示を集める人気店らしい。TADIOTOの周辺区画にあるライフスタイル提案型のショップ。Facebookでは毎回投稿に沢山のlikeがつくカリスマ的なライフスタイルショップ。